こんにちは
玉木モカです
私は保育士14年目
2回転職をして、今の保育園は3園目です
働いていてふと、「私は子どもをかわいいと思えない。保育士むいてないよなぁ。」と思うことがあります
もしかしたら、保育士さんで同じように「子どもをかわいいと思えない」「冷めちゃったのかな」「向いてないのかな」と悩んでいる人がいるかもしれません
「子ども大好き!」「子どもめっちゃかわいい!」「癒される!」
という気持ちで働いている保育士さん、本当に尊敬します
すごいです
でも!私は気が付きました
やることやっとけば良くない?
「仕事」と割り切って子どもと関わってもいいよね?
このような考え方になって、気持ちが楽になり、仕事と適度な距離で向き合えるようになりました
なので、「子どもをかわいいと思えない」という気持ちを否定しなくて大丈夫です
「仕事だからする」というマインドで、やるべきことをやりましょう
誤解のないように言っておきますが、子どもは大切なかけがえのない存在だという気持ちには変わりありません
「子どもかわいくないんでしょ?どういうこと?」
と思われるかもしれません
私が保育士として働く理由は、以下でお話させてください
新人のときは「子どもが好き」「子どもがかわいい」と思っていた
そもそも昔から、弟や近所の子のお世話が好きでした
小学校高学年の時は、友達と遊ばずに低学年の子と遊んであげることもありました
とにかく「小さい子、かわいい」
夢だった保育士になってからは自信がない日々でしたが、「子どもが好きな気持ちは誰にも負けない」という思いを持って頑張りました
最初に就職した保育園では5年間働きましたが、「子どもがかわいい」「子どもが好き」という気持ちは変わらないままでした
子どもを「かわいい」「好き」と思わなくなったきっかけ
きっかけの始まりは「担当制」:一つ目の保育園
きっかけの始まりは「担当制」の保育について学んだことだと思います
最初は「一斉保育」の保育園でしたが、途中で「担当制」を取り入れようという方針になり、研修にも行かせてもらって学んできました
子ども一人ひとりに寄り添い、一対一の愛着関係を築いていく
まさに私が理想とする保育でした
子どもファーストの「担当制」:二つ目の保育園
その後、縁あって、担当制を昔から取り入れている保育園に転職し、そこでも担当制を学ぶことができました
子どもがわがままになるんじゃない??と心配してしまうほど、とにかく子どもファーストで、寄り添い、気持ちを受け止め、穏やかに過ごしていました
その園では保育士のことを「先生」ではなく名前で「○○さん」と呼びます
先生同士も子どもたちもです
子どもから「モカさん」と呼ばれるのはとても新鮮でした
「やっぱり子どもはかわいいな」という気持ちは、まだ抱いていました
カラオケのバイトで驚愕の事実:三つ目の保育園
三つ目に転職した保育園は小規模保育園
(現在も働いています)
定時で帰れて副業もOKだったので、私は夜、カラオケでバイトをしていた時期がありました
掛け持ちはしんどかったですが、今までまともにバイトをしたことがなかったので、楽しく、世界が広がりました
この時に私は気づいてしまったのです
カラオケでフルでバイトしてる大学生と保育士の給料、どっこいどっこいじゃん!?
もちろん福利厚生や賞与などの差はあります
が、正直、保育士の仕事よりカラオケの方が数段楽!
なのに給料に大差ない!
この事実に気づいた瞬間、保育士として働くの馬鹿らしくない?と思ってしまい、一気に熱が冷めていく自分がいました
それから、保育の仕事と気持ち的な距離を置くようになったのです
同時に「子どもかわいいと思えない」「子どもを好きと思えない」という気持ちになっていきました
でも結果、このことが良い方向にいったのだと思います
子どもを「子ども」ではなく「一人の人」として見るようになった
カラオケのバイトと給料がどっこいどっこい
という衝撃の事実に気づいてからは、本業に対する情熱はすっかり冷め、ただただ淡々と仕事をこなすようになりました…
それでも「保育士辞めたい」と思わなかったのは「保育」の仕事が好きな気持ちがあったからです
「子どもかわいくないのに?」と思いますよね
私は仕事と距離を置くようになり、客観的に物事を考えることができるようになりました
淡々と、子ども一人ひとりの課題を考え、どのようにアプローチしたらよいのか模索し、実践し、反省する…の繰り返し
そうしているうちに、私は子どものことを「子ども」というくくりではなく「一人の人」として見ているということに気が付きました
例えるなら、以前は、まるでペットや動物を愛でるような感覚で「子どもかわいい」と言っていた気がします
「子どもかわいい(ペットかわいい)」感覚でいると、どこか上から目線で、言うことを聞いてほしいという気持ちになってしまいます
子どものわがままや癇癪などに、イラッ!とかモヤッ!とかするのは、「言うことを聞いてほしい」という思いが根底にある場合が多いのかなと思います
でも、「一人の人」として見ることができるようになることで、その子を人として尊重することができるようになりました
その子その子の気持ちを一番に大切にし、受け入れ、ゆったりと穏やかに関わることができるようになっていったのです
「○○ちゃんが納得して動けるように、こういう関わりをしてみよう」
「○○ちゃんはこれが嫌なんだな。気分が乗らない時もあるよね」
とその子の気持ちを一番に考えると、イライラせず寄り添うことができるようになります
まず優先すべきはその子の気持ち=心です
子どもに寄り添うのに、「子どもかわいい」というこちらの気持ちは関係ない
子どもがかわいかろうが、かわいくなかろうが、子どもに寄り添い受け止めることが「保育」であり私たちの「仕事」です
「仕事だからやる」のです
寄り添い、受け止め、その子を尊重しながら関わることで
愛着関係が築けたことを実感し、成長を感る、これがとてつもなく嬉しい
「人」の成長に携われることが楽しいんです
たまたま相手が「子ども」だっただけという話
他の職種でも、業務を淡々とこなすことでやりがいを感じる人はたくさんいると思います
それと同じです
淡々と仕事をし、人の成長を感じることで、やりがいを感じているのです
そのうえで「今の○○ちゃんの表情かわいかったな」「○○くん、自分の言い間違えに気づいて照れてる姿かわいいな」という気持ちになることはたくさんあります
社会人としてやるべきことをやっていればいい
仕事がつまらない、辞めたいと思って、明らかに手を抜く人がいます
これは良くありません
仕事である以上必ず「人」が絡んできます
保育だと「子ども」だけでなく「保護者」「同僚の保育士」「給食の先生」「事務員」など
私は社会人として、「人」への最低限のリスペクトは必要だと考えています
給料ももらっています
人に迷惑をかけず、やるべきことはやるべきです
裏を返せば、情熱ややる気がなくても、やるべきことはできます
「子どもをかわいいと思えないから向いてない」という感情論は横に置いて
子どもに寄り添う関わり(例えば「これがしたかったんだね」「できるようになったね」という言葉かけ)など、できることを淡々とやるだけです
まとめ:「子どもかわいい」「子どもかわいくない」という感情は一旦横に置いて!
仕事をするうえで、客観的に冷静に淡々と考えるクセをつけることは、どの職種でも重要なのではないかと考えます
もちろんやる気!気合!根性!を否定するつもりはありません
「子どもがかわいい」「子どもに癒される」という気持ちでモチベーションが上がる人も否定しません
でも、そういう気持ちがなくても子どもを人として尊重し、大切にし、保育することはできます!ということは強く言いたいです
「保育士に向いてないかも」
と思ったら、子どもがかわいいかどうかではなく、「人に寄り添い尊重し、心と体の成長を促すお手伝いができるか」という視点で考えてみても良いと思います
子どもに寄り添うことはスキルの一つ
スキルはいつからでも磨けます!
子どもを尊重し寄り添う保育士さんがたくさん増えてくれたら嬉しいです